12 月 1st, 2010 Posted in 未分類 | No Comments »
11月30日よりmixiでメールアドレス検索機能が実装されました。
http://goo.gl/ImIzZ
……「メールアドレスを検索したい」ユーザーは多いと思いますが、検索されたいユーザーは多くはないでしょう。
”設定変更”からプロフィール検索を選択。

↓

”許可しない”を選択します。
mixiを公開している相手と、メールアドレスのみを公開している相手は当然異なります。メールアドレスを公開している相手に関して良くない印象をあたえる日記を書いていたりしたら大変なことになってしまうのでは……?
mixiとしてはユーザー側のコントロールに任せるという方針のようです。
ところでmixiはなぜこの機能を性急に導入したのでしょうか。
実は、メールアドレス検索そのものはFacebook、myspaceでは標準の機能なのです。
mixiは臆面もなくその機能を取り入れてしまったということですが、そもそもmixiは実名での登録意外認めないorkutなどのサービスと同列に語ることは出来ないものです。
http://www.orkut.com/PreSignup
そもそも日本のSNSは匿名での登録を行うユーザーが大半です。
mixiは日本人の嗜好にあっていたからこそユーザーを増やすことができたのに、下手な国際標準化はユーザーを減らすだけではないでしょうか?
11 月 30th, 2010 Posted in 未分類 | No Comments »
不完全性定理について初めて知ったのは高校生ごろでしょうか。
定理そのものよりも、クルト・ゲーデルその人に興味が湧いたのをよく覚えています。
アルベルト・アインシュタインとの奇妙な友情、アメリカ入国時のゲーデルらしいエピソード。
妻アデルとの出会いと、晩年の切ない幕切れ。
ゲーデルは死ぬ間際、何者かによる毒殺を恐れていたといいます。ハンガリー生れの火星人に「人間の理性の限界を示した」とさえ称された男は、何に脅かされていたのでしょう。
不完全性定理は「この世に完全なものは無い」というような主張の裏付けに使われることが多いのですが、不完全性定理は矛盾しない論理を否定しているわけではないので少々おかしなことになっています。ところで不完全性定理はなにも人間だけの理性の限界を示しているわけではありません。
11 月 29th, 2010 Posted in 未分類 | No Comments »
マイクロソフトのLive向けソフト、Live Writerはブログ用の高機能なエディターです。
今まで使用に躊躇していましたが、せっかくLive Essentials2011も公開されたことですので、この機会にと使ってみました。そうしたらとても使いやすいではありませんか。

ご覧のとおり現在のWordpressテーマをちゃんと反映してくれます。
Wordpressのダッシュボードは私にはどうも使いづらかったので、非常にありがたいです。
サクサク使えてなんだか逆に怪しい。
ちなみに一点注意点が。Wordpressでブログを書いていいる場合、初期設定のままではwriterから投稿できないケースがあります。
Wordpress側の設定を変更して外部からの投稿を有効にしないといけません。
Wordpress2.7以降の場合の手順は以下の通り。
設定>投稿設定>”WordPress、 Movable Type、 MetaWeblog および Blogger XML-RPC 投稿プロトコルを有効にする”にチェック。

Wordpress3.0以降でも、Writerからの投稿の場合は以下でメール投稿を有効にする必要があるようです。

WriterのインストールにあわせてWordpressでブログを開設した場合、メール投稿は有効になっていませんので、一回はWordpress側の設定を変更しないといけないようです。
ブログから一度ログアウトしてログインしなおすとWordpressの設定画面に移るので、そこで設定を変更します。
こういったソフトの必要性を感じてなかったので、この使い勝手の良さは少しショッキングでした。
かなりお勧めです。
Windows Live Writer 2011
9 月 7th, 2010 Posted in Daily | No Comments »
無駄を減じれば効率がよくなる。
つまり短い時間で生産性が向上します。
何のために効率化をするのかといえば生産性を向上させるためですが、こと日本においては効率化そのものが目的化しがちです。
これにはおそらく明治時代におこった急激な環境の変化が関係しています。
それまで日本では効率化は悪でした。日本という島国の中で、一度資源を取り尽くしてしまったら資源が再生するまでに住民は全滅してしまいます。
下手に生産性を向上させては、資源を取り尽くしてしまう可能性も高まってしまうのです。
しかし、明治時代になって、欧米の強い影響下で効率化に対する意識の変化がおこりました。日本は欧米との資源の奪い合いに積極的に参加するようになります。
効率化=西欧化は突然ドグマとなったのです。
21世紀になっても社内の公用語の英語化を推し進める会社が存在するなど、このドグマのインパクトがいかに強かったかが窺い知れます。
結局は資源の奪い合いが今になってもつづいていると考えれば、こうした企業の取組は一概に間違っているともいえません。
しかしドグマはドグマであり、地球レベルの資源の奪い合いにしても、それの激化度合いによっては人類そのものがイースター島と同じ運命を辿りかねません。
もとより効率化は一定の限度を与えられるべきものなのです。
さらに効率化の推進によって無駄が減り、より早く利益が得られるようになると、長期的に利益を産む行為はないがしろにされていきます。
短期的な利益にとらわれるのでは、パチンコ中毒やアルコール中毒と変わりません。
集団レベルでは功罪入り混じる効率化ですが、実は個人レベルでも同じことが言えます。個人レベルでの効率化は確かに高い効果があります。ところがその効率化が自分の体というリソースを食いつぶしてしまっては元も子もありません。
体が壊れてしまっては、科学的な効率化も精神主義的な効率化も大差なくなります
実際は科学的な効率化さえも、何かしらのトレードオフが起こるはずなので、いずれにせよ歯止めが必要です。
無駄を減らす前に、企業なり個人の文化を確認して、減らしてはいけないリソースを確認すべきでしょう。状況によってはそれこそが至難の業ですが、個人レベルでは達成可能です。個人的には、最も減らしてはいけないリソースは睡眠です。寝る子は育つ……。
9 月 4th, 2010 Posted in 未分類 | No Comments »
以下はまだアイディアレベルなのですが、コンピューターRPG史上の金字塔「ウルティマ」の重要なテーマとなっている「三原徳」は仏教の「三毒」を裏返したものではないかな、と思ってます。
ウルティマシリーズはウルティマⅣから徳という概念が持ち込まれ、主人公は己の徳を高めて聖者アバタールを目指すという類を見ないストーリーが展開します。徳の収拾というゲーム性の部分とストーリーが見事に融和した芸術的ともいえるデザインですが、この「徳」の解釈になぜか仏教の香りがするのです。
ウルティマの三原徳
愛>「あらゆる生命に対して区別なく共感する心」
真実>「真実に対する無条件の尊敬」「己も他人も決して裏切らない精神」
勇気>「己の信念に基づいて行動する勇気」
三毒
貪>「必要以上に求めること。我愛」
瞋>「自分の意に沿わないものを憎む心」
癡>「真理に対する無知」
つまり。
愛<>瞋
真実<>癡
勇気<>貪
以上のような相対関係が見られるのではないでしょうか。
勇気については「己の信念にしたがわない」=貪ではないように見えますが「自分そのものよりも己の信念を優先すること」と考えると「己を実在あるものと把握する誤り」である貪との相関がありそうです。
そう考えると貪の逆も「無欲」ではないことがわかります。欲求の否定ではなく、我の欲求を実在あるものとして認識するもの事態が誤りなのです。
面白いことにウルティマ7(世界史上最高のPCRPGと呼ばれています)の敵である「フェローシップ教団」も3つの徳を基本原理としています。
「Strive for unity(連帯のための闘争)」
「Trust thy brother(汝の兄弟を信ぜよ)」
「Worthiness precedes reward(報われるためにはまずふさわしくあれ)」
3つの教えは
愛
真実
勇気
の3つの徳に対応しているようにも見えます。
区別のない共感は分けへだてない連帯を結ぶという行動に現れてもおかしくはありません。
真実の無条件の尊敬が、道を同じくする友への尊敬と重なることもあるでしょう。
勇気が己の信念に従うことならば、信念にふさわしい行いをすべきでしょう。
ところが3つの教えの真意は……
フェローシップ教団はRPG史上においてプレイヤーが戦ったあまたの敵の中でも最強の敵の一つです。
道徳の問題への鋭い切り込みだけではなく、それにゲーム性を見出し、ゲームとして成立させた点。
それをRPGの始祖たるシリーズが行っていたことは今更ながら驚くべきことです。
最後に。アバタールは救世主と訳されていますがそのものずばり「アバター」の意味でもあります。
ヒンズー教におけるヴィシュヌ神の地上における仮の姿を神の「化身」アバターといいます。
……そのアバターの一つが、そう、仏教の開祖である……あのお方です!!
5 月 10th, 2010 Posted in 未分類 | No Comments »
絵がしょぼい、音楽がしょぼい、UIが最低などはさておいて、純粋にゲームとして考えた場合「ダメ」なゲームとはなんでしょうか。
それは優先事項が一つしかないゲームです。
やることが一つしかないゲームほどつまらないゲームはありません。
HPを見るのでさえリンク項目があり記事の内容に激怒しサムネイルの画像にドキッとしたりとやることが沢山あるというのに(そして飽きたら検索エンジンを叩けばいいのです)。
たとえばジャレッド・ダイヤモンド「文明崩壊」では人類が自然破壊によって滅亡しないための施策は効果的な家族計画、乱獲の抑制など12項目にもおよびます。
最優先項目は12の項目全てです。優劣はありません。
さしあたってゲームではそれほど多数の優先項目を設ける必要はないわけですが、たとえばシューティングゲームなどにたとえると
・弾を敵にあてる
・敵の弾をかわす
・アイテムを取る
・ボスを倒す
全てがゲームクリアに対して必要です。
弾を敵にあてるだけのゲームは、一般的なシューティングゲームに対して「ゲーム性が低い」のです。
主観的な要素が入る余地はありません。
あるプラットフォームに対してどの程度のゲーム性が必要か……は当然考慮されるべきですけど。
1 月 27th, 2010 Posted in 未分類 | No Comments »
そういえば先日知り合いの倉庫の棚卸を手伝ってきました。
かなり前のことですけど。
1.ロボットができないこと。
荷積みを行うロボットは、不定形な荷物を重ねて置くことはできないそうです。
バランスよく荷積みをするためにはまだ人力がいるとか。
http://www.nachi-fujikoshi.co.jp/news/pre/1001.html
それにしてもかっこいいですね。プレストLP130/180。
倉庫で働く最新のロボット。
http://wiredvision.jp/news/200903/2009031122.html
http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/JIREI/20080925/315462/
2.ワークフローができるまでが大変。
3.数字は覚えられない
某社では、ある商品の名称がどの商品を意味しているのか社員に理解させるため、商品の組み立てを社員の手で行わせるそうです。
商品ごとにIDを振って数字管理をしても、人間では数字の羅列からある商品を思い出すには限界があるそうです。
3.最大クラスの輸送船には6メートルコンテナが1万台積める。
津波が着たら大変な気がしますが如何……。
1 月 24th, 2010 Posted in 未分類 | No Comments »
ストーリーを書く際に展開を別に表記することは工程上必須でしょうか。
これはケースバイケースといえます。
作品がテキストだけで完成しない場合、テキストが完成するまで並行して作業する必要上、普通はプロットが
必要となります。プロットは各シーンに分割できます。
各シーンはそれぞれ時間経過、ロケーション、時間帯、登場キャラクターなどのパラメーターを持ちます。
これをもって絵や音楽などのほかの素材が作成されます。
作業を進めるためにシーンの分轄は必須になります。
映像作品の中では少なくともシーン内でのロケーションやアングルの整合性が保たれないとなりません。
しかしプロットには見過ごしがたい欠点があります。
そのために、しばしばストーリーの完成をもってそれをプロットに分轄し、シーンごとに分轄するということが行われます。
本末転倒に思われますが、製作手段としてはしばしば耳にします。
プロットは凄まじく表現力に乏しいのです。
プロットで表記できるのはただのフローチャートにすぎません。
フローチャートだけでコードは動きません(当たり前です)。
よって、テキストだけで表現される作品においてはプロットが存在しないケースもよくあります。
プロットが作品の流れを阻害するといった意見さえあります。
それは上記の表現力の乏しさに由来する意見といえるでしょう。
また、小説作品の漫画化、アニメ化、映画化、舞台化によって生じる違和感と乖離は、ストーリーを一度解体した結果、表現力が低下したことによって起る現象といえます。ハリウッド映画は原作のプロット化における表現力の低下の問題に組織的に取り組んでおり、サブテクストを原作から読み込んで映像の中に配置したり、役者の演技や魅力的なカメラワークなどで表現力をもたせています。
目で見ただけでそれが何であるか自明な映像作品において表現力を問うとは一見馬鹿なことをいっているようですが、映像作品は文芸的な表現力において優れたジャンルではありません。たとえばリンゴの映像は大多数にとってただリンゴでしかなく、リンゴに象徴的な意義を持たせるには相応のテクニックが必要です。しかしストーリーの上でリンゴはただのリンゴではありえないのです。
プロットが企画と連動しており、企画からプロットが逆算される場合、コンセプト上の理由でストーリーに制約がかかります。
そしてストーリーはプロットを超えるものには絶対になりません(良し悪しの問題ではありません)。
すべての企画がプロットと連動しているわけではありませんが、学園恋愛ものという企画から学園も恋愛も出てこないプロットが出ることはまずありません。企画でストーリー展開ではなく、ストーリーのルールだけが規定される場合もあります。たとえば一つの街を舞台に複数の視点で一つの物語が語られるという企画では、企画が求めているのは街というロケーションと視点が複数あるということだけです。
しかしプロットは表現力が乏しい分明確であり、第三者にも把握がしやすいものです。
よって大勢で組織的に作品を作り上げる際に、プロットは必須となります。
ここで重要になるのはストーリーを作り上げるストーリーテラーでなく、作品の表現力を取り戻す役目を担うディレクターとなります。
作品をプロット単位で分解することが最近流行っていますが、いくらフローチャートの作り方を学んだところでストーリーの作成には寄与しません。
以上簡単ながらまとめになります。
1 月 10th, 2010 Posted in 未分類 | No Comments »
FireFoxからGoogleカレンダーにアクセス出来ず困ってました。
「このアドレスへのリクエストに対するサーバの自動転送設定がループしています」
カレンダーにアクセスすると以上のメッセージが出ます。
こちらは携帯とカレンダーの予定を同期させているせいで起こった不具合かなと思ってましたがどうやら、違ったようです。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1327301183
上記のサイトの方法を参考に復旧作業を行ってみました。
FireFox>ツール>オプション>プライバシー>Cookieを表示>google.com/google.co.jpのCookieを削除。
以上で復旧可能でした。
1 月 7th, 2010 Posted in 未分類 | No Comments »
明けたようでおめでとうございます
今年もよろしくお願いしますなギアファクトリーです。
いろいろトラブルが続きちょっとへこんでます。
無意識は私の敵なのか味方なのか。
いや、無意識が敵になっているのは私の責任なので結局私が悪い……のか。
とまれ無意識状態の私は今年一年ポジティブになっていただきたい。
今回は年始なのでゲームの根源について考えてみようと思います。
ゲームは暇つぶしです。
しかしなぜゲームをすると気が紛れるのでしょうか。
ここで考えたいのが二次大戦時のイギリスの首相チャーチルのこんな話です。
http://mwjp.s48.xrea.com/kazuko/archives/000202.html
チャーチルは毎日200個の煉瓦を積んでいたらしいのです。
煉瓦。
狩猟でもスポーツでもなく煉瓦です。
対戦相手もいなければ明確な勝利目標も無い。なによりそれ面白いの。
ただの繰り返しじゃないか。
しかしこのただの繰り返しもゲームの本質なのではないだろうか。
キャッチボールって子供のころやったきりだけど異常に面白いよね。
みたいな話です。
繰り返しってつまらないことのように思われがちですけど、実はそんなことはないのではないか。最近そんなことを考えています。適切なゴールさえあたえてやればただの繰り返しも面白いゲームになる。
煉瓦を1ミリも狂わず正確に積む。
そして出来上がる完璧な煉瓦塀。
それは煉瓦を積むものにとって最高のグッドエンディングといえるのではないでしょうか。というわけでギアファクトリーの新作は煉瓦を2万個積むゲームです。
嘘です。