効率化

9 月 7th, 2010 Posted in Daily | No Comments »

無駄を減じれば効率がよくなる。
つまり短い時間で生産性が向上します。
何のために効率化をするのかといえば生産性を向上させるためですが、こと日本においては効率化そのものが目的化しがちです。
これにはおそらく明治時代におこった急激な環境の変化が関係しています。
それまで日本では効率化は悪でした。日本という島国の中で、一度資源を取り尽くしてしまったら資源が再生するまでに住民は全滅してしまいます。
下手に生産性を向上させては、資源を取り尽くしてしまう可能性も高まってしまうのです。
しかし、明治時代になって、欧米の強い影響下で効率化に対する意識の変化がおこりました。日本は欧米との資源の奪い合いに積極的に参加するようになります。
効率化=西欧化は突然ドグマとなったのです。
21世紀になっても社内の公用語の英語化を推し進める会社が存在するなど、このドグマのインパクトがいかに強かったかが窺い知れます。
結局は資源の奪い合いが今になってもつづいていると考えれば、こうした企業の取組は一概に間違っているともいえません。

しかしドグマはドグマであり、地球レベルの資源の奪い合いにしても、それの激化度合いによっては人類そのものがイースター島と同じ運命を辿りかねません。
もとより効率化は一定の限度を与えられるべきものなのです。
さらに効率化の推進によって無駄が減り、より早く利益が得られるようになると、長期的に利益を産む行為はないがしろにされていきます。
短期的な利益にとらわれるのでは、パチンコ中毒やアルコール中毒と変わりません。

集団レベルでは功罪入り混じる効率化ですが、実は個人レベルでも同じことが言えます。個人レベルでの効率化は確かに高い効果があります。ところがその効率化が自分の体というリソースを食いつぶしてしまっては元も子もありません。
体が壊れてしまっては、科学的な効率化も精神主義的な効率化も大差なくなります
実際は科学的な効率化さえも、何かしらのトレードオフが起こるはずなので、いずれにせよ歯止めが必要です。

無駄を減らす前に、企業なり個人の文化を確認して、減らしてはいけないリソースを確認すべきでしょう。状況によってはそれこそが至難の業ですが、個人レベルでは達成可能です。個人的には、最も減らしてはいけないリソースは睡眠です。寝る子は育つ……。

三毒とウルティマ

9 月 4th, 2010 Posted in 未分類 | No Comments »

以下はまだアイディアレベルなのですが、コンピューターRPG史上の金字塔「ウルティマ」の重要なテーマとなっている「三原徳」は仏教の「三毒」を裏返したものではないかな、と思ってます。
ウルティマシリーズはウルティマⅣから徳という概念が持ち込まれ、主人公は己の徳を高めて聖者アバタールを目指すという類を見ないストーリーが展開します。徳の収拾というゲーム性の部分とストーリーが見事に融和した芸術的ともいえるデザインですが、この「徳」の解釈になぜか仏教の香りがするのです。

ウルティマの三原徳
愛>「あらゆる生命に対して区別なく共感する心」
真実>「真実に対する無条件の尊敬」「己も他人も決して裏切らない精神」
勇気>「己の信念に基づいて行動する勇気」

三毒
貪>「必要以上に求めること。我愛」
瞋>「自分の意に沿わないものを憎む心」
癡>「真理に対する無知」

つまり。
愛<>瞋
真実<>癡
勇気<>貪

以上のような相対関係が見られるのではないでしょうか。
勇気については「己の信念にしたがわない」=貪ではないように見えますが「自分そのものよりも己の信念を優先すること」と考えると「己を実在あるものと把握する誤り」である貪との相関がありそうです。
そう考えると貪の逆も「無欲」ではないことがわかります。欲求の否定ではなく、我の欲求を実在あるものとして認識するもの事態が誤りなのです。

面白いことにウルティマ7(世界史上最高のPCRPGと呼ばれています)の敵である「フェローシップ教団」も3つの徳を基本原理としています。

「Strive for unity(連帯のための闘争)」
「Trust thy brother(汝の兄弟を信ぜよ)」
「Worthiness precedes reward(報われるためにはまずふさわしくあれ)」

3つの教えは

真実
勇気
の3つの徳に対応しているようにも見えます。
区別のない共感は分けへだてない連帯を結ぶという行動に現れてもおかしくはありません。
真実の無条件の尊敬が、道を同じくする友への尊敬と重なることもあるでしょう。
勇気が己の信念に従うことならば、信念にふさわしい行いをすべきでしょう。

ところが3つの教えの真意は……

フェローシップ教団はRPG史上においてプレイヤーが戦ったあまたの敵の中でも最強の敵の一つです。
道徳の問題への鋭い切り込みだけではなく、それにゲーム性を見出し、ゲームとして成立させた点。
それをRPGの始祖たるシリーズが行っていたことは今更ながら驚くべきことです。

最後に。アバタールは救世主と訳されていますがそのものずばり「アバター」の意味でもあります。
ヒンズー教におけるヴィシュヌ神の地上における仮の姿を神の「化身」アバターといいます。
……そのアバターの一つが、そう、仏教の開祖である……あのお方です!!