プロットの表現力
1 月 24th, 2010 Posted in 未分類 | No Comments »ストーリーを書く際に展開を別に表記することは工程上必須でしょうか。
これはケースバイケースといえます。
作品がテキストだけで完成しない場合、テキストが完成するまで並行して作業する必要上、普通はプロットが
必要となります。プロットは各シーンに分割できます。
各シーンはそれぞれ時間経過、ロケーション、時間帯、登場キャラクターなどのパラメーターを持ちます。
これをもって絵や音楽などのほかの素材が作成されます。
作業を進めるためにシーンの分轄は必須になります。
映像作品の中では少なくともシーン内でのロケーションやアングルの整合性が保たれないとなりません。
しかしプロットには見過ごしがたい欠点があります。
そのために、しばしばストーリーの完成をもってそれをプロットに分轄し、シーンごとに分轄するということが行われます。
本末転倒に思われますが、製作手段としてはしばしば耳にします。
プロットは凄まじく表現力に乏しいのです。
プロットで表記できるのはただのフローチャートにすぎません。
フローチャートだけでコードは動きません(当たり前です)。
よって、テキストだけで表現される作品においてはプロットが存在しないケースもよくあります。
プロットが作品の流れを阻害するといった意見さえあります。
それは上記の表現力の乏しさに由来する意見といえるでしょう。
また、小説作品の漫画化、アニメ化、映画化、舞台化によって生じる違和感と乖離は、ストーリーを一度解体した結果、表現力が低下したことによって起る現象といえます。ハリウッド映画は原作のプロット化における表現力の低下の問題に組織的に取り組んでおり、サブテクストを原作から読み込んで映像の中に配置したり、役者の演技や魅力的なカメラワークなどで表現力をもたせています。
目で見ただけでそれが何であるか自明な映像作品において表現力を問うとは一見馬鹿なことをいっているようですが、映像作品は文芸的な表現力において優れたジャンルではありません。たとえばリンゴの映像は大多数にとってただリンゴでしかなく、リンゴに象徴的な意義を持たせるには相応のテクニックが必要です。しかしストーリーの上でリンゴはただのリンゴではありえないのです。
プロットが企画と連動しており、企画からプロットが逆算される場合、コンセプト上の理由でストーリーに制約がかかります。
そしてストーリーはプロットを超えるものには絶対になりません(良し悪しの問題ではありません)。
すべての企画がプロットと連動しているわけではありませんが、学園恋愛ものという企画から学園も恋愛も出てこないプロットが出ることはまずありません。企画でストーリー展開ではなく、ストーリーのルールだけが規定される場合もあります。たとえば一つの街を舞台に複数の視点で一つの物語が語られるという企画では、企画が求めているのは街というロケーションと視点が複数あるということだけです。
しかしプロットは表現力が乏しい分明確であり、第三者にも把握がしやすいものです。
よって大勢で組織的に作品を作り上げる際に、プロットは必須となります。
ここで重要になるのはストーリーを作り上げるストーリーテラーでなく、作品の表現力を取り戻す役目を担うディレクターとなります。
作品をプロット単位で分解することが最近流行っていますが、いくらフローチャートの作り方を学んだところでストーリーの作成には寄与しません。
以上簡単ながらまとめになります。





