倉庫番

1 月 27th, 2010 Posted in 未分類 | No Comments »

そういえば先日知り合いの倉庫の棚卸を手伝ってきました。
かなり前のことですけど。

1.ロボットができないこと。
荷積みを行うロボットは、不定形な荷物を重ねて置くことはできないそうです。
バランスよく荷積みをするためにはまだ人力がいるとか。

http://www.nachi-fujikoshi.co.jp/news/pre/1001.html

それにしてもかっこいいですね。プレストLP130/180。

倉庫で働く最新のロボット。

http://wiredvision.jp/news/200903/2009031122.html

http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/JIREI/20080925/315462/

2.ワークフローができるまでが大変。

3.数字は覚えられない
某社では、ある商品の名称がどの商品を意味しているのか社員に理解させるため、商品の組み立てを社員の手で行わせるそうです。

商品ごとにIDを振って数字管理をしても、人間では数字の羅列からある商品を思い出すには限界があるそうです。

マリア様がみてる ハロー グッバイ (コバルト文庫)

3.最大クラスの輸送船には6メートルコンテナが1万台積める。

波が着たら大変な気がしますが如何。

プロットの表現力

1 月 24th, 2010 Posted in 未分類 | No Comments »

ストーリーを書く際に展開を別に表記することは工程上必須でしょうか。
これはケースバイケースといえます。

作品がテキストだけで完成しない場合、テキストが完成するまで並行して作業する必要上、普通はプロットが
必要となります。プロットは各シーンに分割できます。
各シーンはそれぞれ時間経過、ロケーション、時間帯、登場キャラクターなどのパラメーターを持ちます。
これをもって絵や音楽などのほかの素材が作成されます。
作業を進めるためにシーンの分轄は必須になります。
映像作品の中では少なくともシーン内でのロケーションやアングルの整合性が保たれないとなりません。

しかしプロットには見過ごしがたい欠点があります。
そのために、しばしばストーリーの完成をもってそれをプロットに分轄し、シーンごとに分轄するということが行われます。
本末転倒に思われますが、製作手段としてはしばしば耳にします。

プロットは凄まじく表現力に乏しいのです。

プロットで表記できるのはただのフローチャートにすぎません。
フローチャートだけでコードは動きません(当たり前です)。

よって、テキストだけで表現される作品においてはプロットが存在しないケースもよくあります。
プロットが作品の流れを阻害するといった意見さえあります。
それは上記の表現力の乏しさに由来する意見といえるでしょう。

また、小説作品の漫画化、アニメ化、映画化、舞台化によって生じる違和感と乖離は、ストーリーを一度解体した結果、表現力が低下したことによって起る現象といえます。ハリウッド映画は原作のプロット化における表現力の低下の問題に組織的に取り組んでおり、サブテクストを原作から読み込んで映像の中に配置したり、役者の演技や魅力的なカメラワークなどで表現力をもたせています。
目で見ただけでそれが何であるか自明な映像作品において表現力を問うとは一見馬鹿なことをいっているようですが、映像作品は文芸的な表現力において優れたジャンルではありません。たとえばリンゴの映像は大多数にとってただリンゴでしかなく、リンゴに象徴的な意義を持たせるには相応のテクニックが必要です。しかしストーリーの上でリンゴはただのリンゴではありえないのです。

プロットが企画と連動しており、企画からプロットが逆算される場合、コンセプト上の理由でストーリーに制約がかかります。
そしてストーリーはプロットを超えるものには絶対になりません(良し悪しの問題ではありません)。
すべての企画がプロットと連動しているわけではありませんが、学園恋愛ものという企画から学園も恋愛も出てこないプロットが出ることはまずありません。企画でストーリー展開ではなく、ストーリーのルールだけが規定される場合もあります。たとえば一つの街を舞台に複数の視点で一つの物語が語られるという企画では、企画が求めているのは街というロケーションと視点が複数あるということだけです。

しかしプロットは表現力が乏しい分明確であり、第三者にも把握がしやすいものです。
よって大勢で組織的に作品を作り上げる際に、プロットは必須となります。
ここで重要になるのはストーリーを作り上げるストーリーテラーでなく、作品の表現力を取り戻す役目を担うディレクターとなります。

作品をプロット単位で分解することが最近流行っていますが、いくらフローチャートの作り方を学んだところでストーリーの作成には寄与しません。
以上簡単ながらまとめになります。

FireFox使用時にGoogleカレンダーが使えない

1 月 10th, 2010 Posted in 未分類 | No Comments »

FireFoxからGoogleカレンダーにアクセス出来ず困ってました。

「このアドレスへのリクエストに対するサーバの自動転送設定がループしています」

カレンダーにアクセスすると以上のメッセージが出ます。
こちらは携帯とカレンダーの予定を同期させているせいで起こった不具合かなと思ってましたがどうやら、違ったようです。

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1327301183

上記のサイトの方法を参考に復旧作業を行ってみました。
FireFox>ツール>オプション>プライバシー>Cookieを表示>google.com/google.co.jpのCookieを削除。

以上で復旧可能でした。

年始からトラブル。そうだ煉瓦を積もう。

1 月 7th, 2010 Posted in 未分類 | No Comments »

明けたようでおめでとうございます
今年もよろしくお願いしますなギアファクトリーです。
いろいろトラブルが続きちょっとへこんでます。
無意識は私の敵なのか味方なのか。
いや、無意識が敵になっているのは私の責任なので結局私が悪い……のか。
とまれ無意識状態の私は今年一年ポジティブになっていただきたい。

今回は年始なのでゲームの根源について考えてみようと思います。

ゲームは暇つぶしです。
しかしなぜゲームをすると気が紛れるのでしょうか。
ここで考えたいのが二次大戦時のイギリスの首相チャーチルのこんな話です。

http://mwjp.s48.xrea.com/kazuko/archives/000202.html

チャーチルは毎日200個の煉瓦を積んでいたらしいのです。

煉瓦。

狩猟でもスポーツでもなく煉瓦です。
対戦相手もいなければ明確な勝利目標も無い。なによりそれ面白いの。
ただの繰り返しじゃないか。

しかしこのただの繰り返しもゲームの本質なのではないだろうか。

キャッチボールって子供のころやったきりだけど異常に面白いよね。

みたいな話です。

繰り返しってつまらないことのように思われがちですけど、実はそんなことはないのではないか。最近そんなことを考えています。適切なゴールさえあたえてやればただの繰り返しも面白いゲームになる。

煉瓦を1ミリも狂わず正確に積む。
そして出来上がる完璧な煉瓦塀。
それは煉瓦を積むものにとって最高のグッドエンディングといえるのではないでしょうか。というわけでギアファクトリーの新作は煉瓦を2万個積むゲームです。

嘘です。