アニメ、ゲームと核

7 月 27th, 2009 Posted in 未分類 | No Comments »

東方projectの作者ZUN氏は、竹本泉の画風に影響された可愛らしいキャラクターと素晴らしい音楽、見事なUIと激しい弾幕、そして独特のゲーム論で知られているかと思います。しかし氏の作品にはときおり背筋の凍るような恐ろしいエピソードが挿入されます。例えば東方Project第9作、東方花映塚。
本作のストーリーは公式を参照のことですが、本作の楽曲の一つに「六十年目の東方裁判」という曲があります。本作が発表された翌年の2005年は日本の敗戦から60年目にあたります(東京裁判はその翌年です)。また、英語タイトル
Phantasmagoria of Flower Viewはそのまま訳すると「花景色の走馬灯」となります。

近作の東方地霊殿では核が登場しました。
ラスボス霊烏寺空は神からヤタガラスの力を与えられて、核融合を操ることができるようになります。調子にのった彼女は世界征服を企てますが、主人公たちに阻止されます。彼女は見た目からして露骨に原子力発電所を思わせる意匠をまとっています(ちょっと口では説明できません)。

私は古い人なので核が出るゲームというと私は魔界塔士Sagaを思い出します。
たしかそれが発見できるのはシェルターの中です。シェルターの中には餓死した家族の遺体がありましたね。ちなみにSagaシリーズの最後の敵は神です。

また、ガンダムシリーズの近作、ガンダムSeedでも核は一見否定的に扱われていましたが、主人公の乗るガンダムは核動力で動いてました。この奇妙な二律背反が本作における平和主義でした。

日本人にとって核というのはこういったものであるのは怪獣王を例に上げるまでもありません。核はGod(God-zilla)の力なのです。だが、それは同時に禁忌の力でもあるということでしょう。日本人がと書きましたが、核=神となってしまうのはなにも日本だけの現象ではありません。
コバルト爆弾を信仰していた人類の生き残りのお陰で、素敵な猿の世界は無に帰りました(続・猿の惑星)。

おかしなことに、現実世界の核もまた、神として扱われなければ人類に禍をもたらします。私はこの文章を書きながら核と神の類似性に少し青ざめました。祭られていれば世界に反映をもたらすが(原発銀座)粗末にされると恐るべき災厄をもたらす点などはまさしく祟り神です。宗教を否定した共産主義国家で核がいかように使われ、いかなる結果を招いたかは私がいうまでもない。

よって私は、憲法9条改憲にまつわる論争は宗教論争であるといっていいと思っております。そしてなんとも熱かいに困ることに日本のシンボルは超巨大な核融合炉ともいうべき太陽です。評論家の佐藤健志が著作「本格保守宣言」で示したところによれば憲法9条の改正は憲法1条の改正の名目も与えてしまう。よって護憲論者は熱心な天皇制の擁護者にもなってしまうのです。そして逆もしかり。

あの法案が通ると東方projectは単純所持が禁止されるそうですが、ZUN氏は同人ゲームという主題でしか表現できないことにこだわり続けている感があります。