6 月 27th, 2009 Posted in Daily | No Comments »
誰がやっても同じことで人よりもたくさんお金を稼げたり人気がでたりするというのは非常に凄いことです。いや、凄いというか目出度いことですな。
とはいえ「重要」だといわれている仕事ほど誰がやっても同じで、流れ作業のように見える仕事こそ職人技がいるのではないかと実は思ってます。
http://plastic000.exblog.jp/tags/Perfume/
じゃあPerfumeはどうかというと、私なぞにしてはワンアンドオンリーのカスタム品ではないことも魅力の一つではないかと思います。アップルのロゴと同じ。
個性というのは連続性をもって評価されるもので、独自性故に受け入れられるものではない。自分の個性を信じたいけど、個性を担保しているのは集団であるのも事実というわけですね。こうした矛盾が今世の中から消えつつあって悲しい。
Tags: perfume, 音楽
6 月 26th, 2009 Posted in Game | No Comments »
ゲーム製作をしているサークルのブログなのに半年弱経過して何一つゲームの紹介がないという画期的な運営をしている当サークルですが、いろいろ業をにやした結果、とりあえず画面を載せてみました。

ゲームのフィールド画面です。
このままじゃ解りにくいので、次回は動画を載せますね(動きます)。
ジャンルはSRPGです。多少アクション要素が入っております。
具体的な更新は近日別のページで特集を組んでご覧にいれようかなと思います。
Tags: ゲーム, 新規タグの追加
6 月 23rd, 2009 Posted in 未分類 | No Comments »
世代交代の成功失敗はシリーズものの命運をわけます。
例えばメタルギアシリーズを思い出してください。
MGSで「デイブ」の物語は終わっているのではないでしょうか。
事実MGS2作目では早くも世代交代が示唆されました。MGシリーズでも(オセロット氏についで)非常に興味深い立ち居地にいる雷電氏の登場です。彼のその後の自虐的な活躍ぶりはご存知のとおり。
……なぜこうなってしまったんでしょうね。ちなみにMGS2はゲーム全体を通じてMGSのやり直しを行うという不可解極まりないシナリオでした。後に残るのは凄まじいまでの居心地の悪さ。
MGS2は非常に不気味な符合の重なり合ったゲームで、本作そのものがゲームの発売に前後して起こったあの事件と非常に重なる点を持っていたということがあげられるかと思います。
とまれ問題は何故世代交代が行われ、なぜ失敗したか。なのですが。そもそも作品がシリーズ化されないと世代交代が問題にはなりません。最初からシリーズ化が想定されている作品もありますが、売れなければ次が出ないのは同じこと。エンターテイメント作品においてシリーズ化は贅沢な悩み(過去形なのがポイント)といえるでしょう。
MGSを例に挙げるまでもなく、世代交代は大抵厳しい評価にさらされます。ドラゴンボールしかり、ガンダムしかり、です。しかし作品の人気が高かったりするとどうしても商業的に続編を作らざるを得なくなる。
そうして二代目の苦労が始まるわけです。
二代目にとっては困ったことに、結構普遍的な作劇のパターンとして、意図的に世代交代の失敗を描く場合もあります。歴史ものならばよくある話なのですが、例えば名君の子息がとんだ暗君になってしまったという話は非常によくあります。そういう話は人間の世界のほろ苦い面を描き出すという意味ではうってつけの素材なのです。
問題は、そうした展開になった作品がそれ以上長続きはしないということですが。
もう一つ、世代交代に纏わる事例の一つとして挙げたいのが聖書です。これは世代交代の不可能性を描くことによってそのキャラクターを際立たせるという掟破りともいえる方法です。
聖書においてナザレのイエス以上のキャラクターは生まれなかったことからもわかるとおり、彼の志は万人に受け継がれたが、聖書においては彼の代りはいなかったわけです。また、イエスはダビデ王家の権利をすべて受け継がれたヤコブの家の後継者でもある(これはイエスがユダヤ教における救世主として期待されていたことの証でもあります)イエスが死後、復活をとげたことによりこの権利は永久に天のものとなってしまいました。しかし、世代交代が行われなかったことにより、まさしく彼はワンアンドオンリーの存在になった……ともいえるのです。
しかし、世代交代が行われなかったことは、一つの世界の終りもまた意味したようです。
聖書と同じようにキャラクターがワンアンドオンリーとなった例としてもっとも適当なのは「北斗の拳」でしょう。世紀末救世主伝説ですし。
ヨハネ黙示録は、未来におけるキリストの再度の復活を描くことによって、もはや起こることのない世代交代を夢見た物語かもしれません。
古典を例に挙げるまでも無く、エンターテイメントの世界を見渡す限りにおいて、世代交代は「失敗」以外の結果は殆ど見られません。と、すると話は世代交代が何故失敗するかではなく、世代交代を考えてまで作品を延命させようとするのはなぜか、ということになってしまうのかもしれません。
とはいえ延命する理由はそれこそ山ほど考えられますが、それでも作品は死ぬのです。考えるべきはそれでも作品(キャラクター)は死ぬということです。商業的な理由で死ぬことが許されないキャラクターでさえ、実は死んでいたという風説が流れることがよくあります。例えばドラえもんの最終回のように。
ではエンターテイメント作品において世代交代は不可能なのか?
実は、それに対する有力な反証が存在します。
それについてはまたの機会に。